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languages:multi-language-essays:2017-01:15_grandpas_life

日本語:お爺さんの命

お爺さんは1927年にドイツに生まれました。彼は兵士になって、第二次世界大戦に出ました。運がよくて、戦争が終わってから、無事に帰って来ました。恋に落ちて、お祖母さんと結婚しました。

戦争から帰ってから、アメリカの兵士が地元に来ました。ロシア兵士ではなくて、アメリカ兵士が来たので、皆は嬉しかった。その時にロシアば殆どのベルリンに入って行きました。アメリカもベルリンの部分が欲しかったので、ロシアはベルリンの半分ぐらいをアメリカに譲りました。その代わりに、アメリカがドイツの土地をロシアに譲りました。そのため、祖父母の地元もロシアの土地になりました。

ドイツは戦争で壊れました。祖父は曾祖父と一緒に企業をかえました。東ドイツは社会主義の国になったので、私立企業があまりなかったけど祖父が何とか出来ました。

トラックを戦争で残った部品で組み立てて、品物を輸送しました。家は大きな交差点の側にあったので、毎朝5時に起きて、6時にトラックで家を出ないといけませんでした。 家な前に小さな庭があったけど祖父母が町の前の大きな庭も所有していました。小屋やりんごの木が沢山ありました。

趣味なら、お爺さんがサッカーが大好きでした。トランプと車にも興味がありました。

娘が生まれて、結婚しました。孫が誕生してから、祖父母が家を買って、娘と花婿に上げました。僕が小さい時、お爺さんがたまには僕をトラックで連れてくれました。お祖母さんが食パンとソーセージを作ってあげました。本当に美味しかったです。お爺さんとトラックで行く事は僕の最初のお爺さんに関しての思い出です。

僕は12才になった時に、ドイツは統一しました。お爺さんが仕事を続けて、それから西ドイツの車を買いました。1997年ごろ、お爺さんは60才で仕事を終わりました。何年間もエンジンの音が聞こえたので、耳がちょっと悪くなって来たけどそれ以外には元気でした。祖父母はよくバスでチェコに行きました。

お爺さんには友達が沢山ありました。東ドイツには、友達がいなかったら、トラックの企業も出来ませんでしたでしょう。僕と違う性格でした。僕は倣った方がいいかもしれません。

彼はいつも自分の意見を言い表しました。僕は兵士時の後で実家に帰って、どの仕事を習うか、迷っていました。祖父母は「地元で簡単な仕事を習った方が良い」と言いました。僕は他の仕事を習って、近い職場を見つけなかったので、ミュンヘンに行きました。祖父母もその決定を受け入れてくれました。

お爺さんは2013年に骨折して、入院しました。車椅子に入りました。その後で老人ホームでベッドで暮しました。

お爺さんが火曜日に90才の人生を閉じました。僕は木曜日の夜ドイツに帰って、金曜日の葬式に間に合いました。

お爺さん、色々、孫とにありがとうございました。もう一回話したかったけど。

languages/multi-language-essays/2017-01/15_grandpas_life.txt · Last modified: 2021/03/23 12:22 (external edit)